ILLUMI▲NATION

日々の雑記

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土地に紐付いた現実の社会性と海底ケーブルとか電波塔を介した不真面目なコミュニケーション

Twitterで友達とか知り合いをフォローするとなんとなく緊張して第一声何にしようか悩む。

前略プロフとかmixiの時代からそうで、なんていうか

「あなたがたのことを思って書きました!」

みたいにならないように平静を装いながら書く。

でも実際はなんとなくその人がどう思うか気になったりかっこつけたりしてしまう。

なんていうか恋人とか家族が来る時のライブみたいに普段と違った文脈の行為態度を取ってしまう。

人間なら誰しもそうでそうならないやつは人間じゃないと思ってる。

あとメアドを教えて連絡がこなかった時に失礼だと思う感覚も持っていない奴は多分少し人間じゃない。

そう考えるとキャバクラで断れずにLINEを教えてもらって勘違いしてアタックするおじさんはすごく人間らしい。

そのままでいてほしい。ぼくはキャバクラ嬢ではないので。

高校の時ぼくに気がある女の子が恥ずかしそうにメアドを教えてきて

「じゃあまたなんか用があったら連絡するね!」

と返したぼくは多少人間じゃなかった気がする。

その日は何をしたかも覚えていないが電話帳にその子の名前は残っている。

その子をたまにFacebookで見かけるけど海外留学したりパパに車買ってもらった!と人生うまくいってそうなのでぼくみたいなあほと深く付き合わないで正解だっただろう。

18,19の時くらいから昔からの知り合いにあんまり関わってこなかったんだけどなんていうかコミュニケーションがクラウド化したんだと思う。

ちょうど2013年ごろ、SNSが爆発的に普及し始めたころだ。

それからぼくは基本的にTwitterと即売会の会場以外で人と話すことはめっきり少なくなった。

仕事し始めてからは電話も怖くなった、大概催促か修正の電話なので。

でも去年からそれを少しずつ変えようとしている。

何年も会っていなかった友達にも去年実際に会って話をしたし積極的にオフ会にも参加している。

オフ会に来る人とは本当に一期一会、袖振り合うもなんとかかんとかなので気軽に喋れる。

昔の友達とは当時の延長線上の話題で盛り上がれる。

よく「変わってるね」とか「昔と変わったね」とか言われるのだがぼくは純粋にただ美しいもののことをひたすら思考しては現実の自分とのギャップをどうにかして埋められないものかともがいているだけだ。

ハウルの動く城の「美しくなければ死んだほうがマシだ」という台詞はハウルが美しいから言えるのであってとハウルを羨望の眼差しで見る人が多いが彼は見てくれのことだけを言っているわけじゃないと思う。

ぼくの社会におけるつながりは本当にシンプルで14歳の時に美しいと思ったものの近くに在るもの以外は切り捨てている。

コンテクストに乗ってこないつながりは不必要だと言わんばかりに。

だが最近はそれも良くないなと思い始めた。

潔癖症みたいなところは誰しも持っていて潔癖症という単語をそれが原因で不都合が起こった時の対症療法的なニュアンス以外で使うのはあんまり好きじゃないが潔癖症な程に人間関係をピュアに持とうとしていたのだが結局人間はずっと起きていられもしないし食事もするしセックスもする小汚い生き物なので機械にでもならない限り純粋でいることは叶わない夢なのだ。

少し前までのぼくはそれこそ人間じゃなかったのかもしれない。

かつて現実でぼくという醜い存在と偶然同じ空間にいたすべての人に祝福される存在になりたい。

まあ無理だけど。

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